「SUPER EIGHT」のメンバーとして長年活躍している横山裕さん。
明るいイメージとは裏腹に、幼少期には複雑な家庭環境の中で育ったことが知られています。
そこで今回は、
- 横山裕の生い立ちが悲惨!
- 5人家族で5畳一間の生活していた!
このことについて記事にしてみました。
早速本題に入っていきましょう!
横山裕の生い立ちが悲惨!

ここでは、横山裕さんの子供の頃の悲惨な家庭環境や苦労について紹介します。
両親の離婚
両親は離婚し、3歳で祖父母と生活していました。
横山裕さんは1981年5月9日、大阪市で生まれました。
本名「侯隆(きみたか)」と名付けられますが、3歳のときに両親が離婚。
母親に引き取られますが、すぐには一緒に暮らせず、母方の祖父母の元で育つことになります。

横山さんの一番古い記憶は、両親が離婚話をしている場面だそうです
当時は、まだ弟たちも生まれておらず、母と離れて暮らす寂しさを抱えながらの日々だったと思われます。
義父と不仲
5歳のとき母親が再婚しましたが、義父との関係は良くなかったそうです。
横山さんが5歳になるころ、母親が再婚。
再婚相手の姓が「横山」で、これが現在の芸名にもつながっています。
その後、弟が2人生まれ家族は5人になりましたが家庭の中は穏やかとはいえず、「怒号や泣き声が絶えなかった」とも言われています。
義父からは横山さんにだけ手を挙げるなど厳しく接するような場面もあり、関係は最後まで良好とはいえなかったようです。



今でも横山さんは義父を「あのおっさん」と呼ぶそうです
経済的にも厳しかった
当時の暮らしぶりはかなり大変だったようで、家族5人で5畳一間の部屋に住んでいたといいます。
母親は昼も夜も働き詰めで、なんとか子供たちを養おうと、仕事を掛け持ちしていたそうです。
横山さん自身も、その姿を見て育ったからこそ、自然と「自分が支えなければ」という意識が芽生えていったのかもしれません。
そんな母親が50歳で急死したときには、ちょうど全国ツアー中だった横山さん。
青森でのコンサート直前に、ツトムさんから母親が虚血性心疾患で突然倒れたとの連絡が入ったのだ。
引用元:女性自身
訃報を知ったのは、なんと開演の直前だったそうですが、横山さんは予定通りにステージに立ちました。



この時のセットリストには「オニギシ」という母を思った曲が入っていました
「僕が笑ってステージに立たないで家に帰ったら、そんなのオカンもイヤやろうな」と、プロとしての責任と母への思いを胸に、涙をこらえて舞台に立ったそうです。
横山裕は中卒で建設現場で働いていた!


ジャニーズ入所前後の時期、横山さんは家族のために早くから社会に出て働いていました。
中学時代はバスケ部で活躍
横山さんは中学時代、バスケットボール部に所属。
その実力は相当なもので、大阪選抜に選ばれたこともあったそうです。
スポーツに打ち込む一方で、家計の事情もあり、中学卒業後は高校には進学しませんでした。
建設現場で勤務
横山裕さんは、中学卒業後に高校へは進学せず、建設会社で働き始めました。
がれきを片付けたり、足場を組んだりといった、かなりの肉体労働でしたが、現場には同年代の仲間もいて、苦しいながらも楽しい思い出もあったようです。



建築現場で働き、ジャニーズとしても活躍し始めています
当時、作業着のニッカポッカ姿でテレビ局に行って怒られたというエピソードもあります。





ニッカポッカとは、足元が絞られて、ふくらみのあるズボンのことです
「テレビ局は夢を売る仕事なんだから、ダメ!」と注意されたそうです。
“あんた、夢売る仕事やねんから、その格好で来たらあかん”って」と当時の失敗談なども明かした。
引用元:スポニチ
ジャニーズJr.としての活動が徐々に忙しくなり、1年ほどで建設会社は退職しています。
当時の社長さんから「いつでも戻ってきていいよ」と声をかけられそうです。
建設会社の社長から「ここの社長さんが“あかんようになったら、いつでも戻っておいでや”と言ってくれて」と、優しい言葉を掛けられた過去も回想。
引用元:スポニチ
建築会社でも地道に働き信頼されていたようですね。
母の応募でジャニーズ入り
芸能界に入るきっかけは、中学3年のときに母親がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことでした。
きっかけは「同級生がテレビに出てるのを見て、うちの子もいけるんちゃう?」という直感だったようです。
オーディションでは滝沢秀明さんに不合格にされかけましたが、帰り道でトイレに寄った先で、偶然ジャニー喜多川氏と遭遇。
「You、舞台観に来る?」と声をかけられたことが、運命を変えるきっかけになりました。



今までも苦労が報われたようです
本名が読みにくかったため、「YOU」からとって「裕(ゆう)」という芸名が付けられたとも言われています。
まとめ
幼い頃の家庭環境や義父との関係、経済的な苦労など、横山裕さんの生い立ちはかなり複雑で悲惨なものでした。
それでも家族を思い、若くして責任を背負い、仕事や芸能活動に全力で取り組んできた姿が今の人気につながっているのかもしれません。
悲しみも乗り越えながら歩んできた人生には、ファンも心を打たれるものがありますね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!

